平頂山事件の生き残り李佩珍さん死去

1月 22, 2005

(中国通信=東京)瀋陽22日発新華社電によると、侵華日軍(旧日本軍)が起こした平頂山事件の生き残り、生き証人の一人、李佩珍さんが21日夜、瀋陽で病死した。

1932年9月16日、侵華日軍は突然、遼寧省撫順市平頂山村を包囲し、老人、婦女子を含む罪のない住民3000人余りを平頂山のふもとに追い立て、世にも無残な集団大虐殺を行った。その後遺体を焼き、山を崩して埋め、証拠を隠滅、さらに村中の家屋800件に放火して焼き払い、内外に知られる「平頂山事件」を起こした。

大虐殺で31人が生き残り、李さんはその中の一人だった。李さんの死去で、存命は残り5人となった。

事件当時、23歳の李さんは6カ月の子供を身ごもっていた。日本軍の機銃掃射の中で、被弾したが死ななかった。お腹の子供が彼女に生きる勇気を与えた。その後、日本軍は銃剣で検査を始め、李さんも背中を刺された。暗くなってから、死体の山から這い出し、かろうじて焼却を免れ、奇跡的に生き残った。しかし家族の13人はすべて犠牲になった。事件後、李さんは瀋陽で暮らし、生涯平頂山村には戻っていない。

1990年代から、平頂山事件の生存者が訴訟団を結成して、日本政府を相手どって、民事賠償を求めた。東京地裁は公判を重ねたすえ、一審判決を出し、「国家無答責」を理由に、賠償請求を棄却した。訴訟団は東京高裁に控訴しており、今年2月二審判決が出る見通し。

事件現場付近には「平頂山事件遺跡記念館」が建てられた。1972年の開館以来、430万人の見学者が訪れており、うち10万人は日本人。

元平頂山事件遺跡記念館の佟達・館長は次のように話している。平頂山事件は日本が「9・18」事変後、中国で起こした最初の大虐殺事件で、日本が法律の形で公に認めた中国民間人虐殺事件でもある。その遺跡は現在中国で最もよく保存されている、日本による村民虐殺遺跡でもある。平頂山事件遺跡記念館は南京大虐殺記念館、ハルビン731細菌戦旧跡陳列館とともに、日本軍による中国侵略の罪状の3大標本となっている。

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