4600年前に中国北部で水稲を栽培、中米考古調査隊が発見

5月 13, 2005

(中国通信=東京)済南13日発新華社電によると、古代中国の農作物分布については「南稲北粟」が通説となっていたが、最新の考古研究により、4600年余り前、現在の山東省で暮らしていた古代中国人が粟ばかりでなく、米も大量に栽培していたことが証明された。

中米合同考古調査隊は山東省日照市で出土した植生標本について研究、現地の新石器時代の古城遺跡で採取した256の土壌標本の中から、4種類の炭化した農作物の種子570粒を発見した。そのうちの454粒は炭化したもみ米、98粒は炭化した粟で、残りはキビと小麦だった。専門家は上述の研究成果について、水稲が当時、両城鎮地区の主要な工芸作物であったことを証明するものだと指摘した。

山東大学考古研究所の専門家と米国の考古学者からなる中米合同考古調査隊は10年前から日照市の東北20キロにある両城鎮で系統的な調査を行っている。考古調査隊は同地区の地下30センチにある面積約100万平方メートルの古城遺跡を中心に発掘を行ってきた。遺跡は紀元前2600〜2000年のもの。

シカゴ自然歴史博物館の研究員は次のように語った。新石器時代の古代中国人がこのように多くの農作物を栽培していたとは、誰も想像していなかった。古代の中国北部では、稲も粟も同じように重要な農作物であったことを我々は発見した。

1970年代、史前の水稲が長江の中下流地域で大量に発見された。しかし考古専門家が中原および中国北部地方で発見したのは大部分が粟だった。そのため多くの専門家は、粟は新石器時代、華北の大部分の地方の主要な農作物であったと考え、唯一の農作物であった可能性が高いと考えた。

考古調査隊のメンバーである山東大学東方考古研究センターの方輝・教授は次のように話した。我々の発見は、新石器時代の中国北部地方は稲などの農作物の栽培に適さなかったとの学説に、何の根拠もないことを証明するものだ。稲は水田ばかりでなく、畑でも、池でも、棚田でも栽培することができた。しかし研究スタッフは、両城鎮地区の古代中国人が、どのようにして稲を生産したかをまだ解明していない。

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